中学生でも楽しく分かる日本の歴史②大伴氏・物部氏・蘇我氏の時代
大和政権・氏姓制度
地方の 豪族(ごうぞく)たちは権力の象徴として 古墳 を作りました。古墳を調べるとその時期がどういった社会情勢だったのかが分かります。
この時期に漢字や儒教なども伝来してきてます。馬を使って戦う技術も覚えます。朝鮮半島からの渡来人とやりとりがあるからです。
西日本から関東くらいまでの範囲を 「大和地方」 と言います。
その地域では 「大和政権」 という 「大王(おおきみ)」 が中心となって組織された政治が行われていました。
大王(おおきみ)というのは、豪族のもっとも力のある人のことです。この大王(おおきみ)がのちに 天皇 と呼ばれるようになります。
この頃は 「氏姓制度」という身分制度の仕組みがありました。
これは、簡単に言うと、「苗字で社会的地位が決まっちゃうよ」というものです。簡単に言うてます。
豪族の人たちは 「氏(うじ)」という身内中心の集まりを作っていました。氏は大王から「姓(かばね)」っていう地位をもらいます。
その「姓」の種類が「大臣(おおおみ)」とか「大連(おおむらじ)」とかです。
ちなみに、もっと種類はあります。「臣」や「連」があって凄いバージョンが大臣とか大連です。
臣って言うのは、政治の中心任せちゃうねって感じです。連は軍事面お願いねって感じです。
おじいちゃんが「大臣」やったらお父さんも自分も「大臣」ってことです。その氏に生まれてきた時点で決まりだと思っていてください。
もっとかみ砕き説明すると、
「山田っていう 氏 が八百屋さんだったら、山田に生まれてきた時点で八百屋の人生を生きるという感じです。」
今でも名前の事を氏名って表記したりします。「姓」 も苗字のところでよく見かけます。
ここでは、蘇我氏(そがし)と物部氏(もののべし)のことを覚えておいてください。〇〇氏は「氏(うじ)」ってことです。
蘇我氏は「大臣」で、物部氏は「大連」でした。
継体天皇と大伴金村
簡単に説明しておきます。継体天皇は急に天皇になった人なんです。まず、武烈天皇っていう人が後継者がいないまま亡くなりました。
「あかん!途絶えてまう!!」って焦ってるときに大伴金村が継体天皇を連れてくるわけです。
大伴金村「この人めちゃくちゃ遠いけど血縁ですよ。天皇にしちゃおうぜ」
これがきっかけで大伴金村の権力が高まります。
筑紫の国造 磐井の乱 物部氏の力
朝鮮半島との問題です。
関わってくるのは、新羅(しらぎ)です。新羅って強そうな名前です。
その新羅が九州の豪族の磐井に話しかけてきます。
新羅「大和政権に何かしかけたら?新羅は手伝うよ」
磐井さんは大和政権に不満だらけだったんです。
磐井「なんでワシが大和政権の言う事聞かなあかんねん。」
新羅は朝鮮半島を下に向かって攻めていこうって考えていたんです。だから、伽耶を攻めたいなぁって考えてたんです。でも、倭国が伽耶と仲良しやから邪魔されたら嫌やなぁって思ってました。
「そうや。九州の磐井が大和政権嫌いって言うてたなぁ。利用したろ。」って考えついたんです。磐井が暴れてくれてる隙に伽耶攻めようと思ったんです。
「新羅さん。ええで。やったろうかい。」磐井も気合十分です。
結果から言うと、大和政権圧勝します。
でね、みんなこれが大切やから聞いててね。今って大伴金村って人が権力あったよね。しかも、姓は大連やったから、軍事面担当してるねん。やのに、活躍してないねん。でもな、圧勝してん。
誰が活躍したの????
それが「物部麁鹿火(もののべのあらかび)」です。名前のカッコ良さレベル100です。
これを機に大伴氏の力は低迷し物部氏の力が飛躍するということです。
蘇我氏という存在
第29代天皇・欽明天皇が即位したことがきっかけで蘇我氏が権力を持つようになってきます。この欽明天皇即位に貢献したのが蘇我氏です。
欽明天皇の子供たちは凄いです。
敏達・用明・崇峻・推古です。まぁ、推古天皇だけ知っててください。用明天皇は聖徳太子のお父さんです。覚えなくていいです。推古天皇だけ覚えましょう。
のちに蘇我馬子・聖徳太子・推古天皇が仲間になります。
百済から「仏教」伝来
538年に「仏教」が「百済(くだら)」から伝来してきます。
仏教にフォーカス当てます。これが日本史を楽しく勉強するためのコツです。
倭の国は、百済や伽耶という国と仲良くしていました。そこを高句麗(こうくり)と言う大きめの国が攻めたんです。だから、百済や伽耶は倭国に助けに来てもらいたかったわけです。
百済が「助けに来てくれたら仏教って言うのあげるよ」って交換条件みたいな感じでくれた。こう覚えていたら、朝鮮半島が揉めていたことも覚えられます。
伽耶は新羅にも攻められそうになりましたよね。みんな仲悪いです。
日本は百済や伽耶と仲良しで、仏教も教えてほしかったので、百済や伽耶を助けに行きます。でも負けます。
こういった流れがあり、百済は仏教というものを伝えてくれたわけです。
蘇我氏vs物部氏
この2つの大きな氏が争う事になるのですが、きっかけは仏教です。
大王(天皇)が 「仏像祀ることにしようかと思ってるけど、どう思う?」って意見を求めます。
蘇我氏「賛成です。そうした方がいいですよ。」(崇仏派)
物部氏「もうすでに神様いてますやん。やめましょ」(廃仏派)
というように意見が分かれます。
蘇我馬子(そがのうまこ)は仏像を祀って、仏教を広める活動をしようとしてました。というのも、蘇我氏は渡来人を結構雇っていたので、仏教って良いものだと受け入れてました。その方がみんなの為とも考えていたのかもしれません。
そんな蘇我馬子の仏像を捨てたり、仏殿を焼き払ったりしたのが、物部守屋(もののべのもりや)です。
物部氏の家来で有名なのは「中臣氏」です。後の中臣鎌足で有名な中臣です。
用明天皇の死により、蘇我氏と物部氏は次の天皇を誰にするかで揉めました。
ちなみに用明天皇は「聖徳太子」のお父さんです。
軍事担当の物部氏が優勢と思いきや、蘇我氏が勝ちます。
蘇我馬子の力
勝利した蘇我馬子は崇峻天皇を即位させます。即位させてますから権力の凄さが見えます。でも、崇峻天皇があんまり言うこと聞きません。
馬子はキレます。キレた馬子は崇峻天皇を暗殺しちゃいます。
凄いです。もう完全に一番権力者って言えます。このくらい蘇我氏は凄いって知っていてください。
推古天皇と厩戸王と蘇我馬子
こうして蘇我氏が実権を握っていくわけですが、ちゃんと天皇は決めないとダメですし、基本は天皇がトップです。
そこで選ばれたのが、「推古天皇」です。女性の天皇で蘇我馬子の姪です。だから言う事を聞いてもらいやすいと考えました。蘇我氏はなんせトップにいたいんです。
推古天皇は言いました。
「じゃあ、厩戸王(聖徳太子)と政治してもいいですか?」
馬子「いいよ」
馬子も厩戸王が優秀なのを知っていました。上に書きましたけど親戚なんですよ。この3人。
次回から聖徳太子こと厩戸王が活躍するのですが、今日はここまでとさせて頂きます。
つづく
