中学生でも楽しく分かる日本の歴史⑥遂に誕生!天智天皇!そして壬申の乱
遂に!中大兄皇子が天皇に即位します!!!
この辺りの天皇の名前は似ていて覚えられない。。と嘆いていたみなさん。
中大兄皇子は「天智天皇」です。
中大兄皇子は賢いですよね?今は政治が大変で試行錯誤していて悩んでいますが、賢いから悩みます。
天智の「智」とは智慧の「智」です。政治改革者です。めっちゃ賢いです。
賢すぎて色々変えようとしたので、みんなに嫌われていました。
弟と息子 次の大王になるのは?
まず知っていてもらいたいのが、天智天皇の弟と息子です。
弟の名前は「大海人皇子(おおあまのみこ)」
息子の名前は「大友皇子(おおとものみこ)」って言います。
この2人も似てます。混ざらないコツは、息子なのに「大友」って覚えてください。
天智天皇は弟の大海人皇子を皇太子にしていました。つまりは、後の大王です。大海人皇子もそのつもりでした。
順当にいけば弟が次の大王です。
お疲れさまでした。中臣鎌足
天智天皇が「さあ、これからだ!」って時に、中臣鎌足が亡くなります。これが天智天皇にとってどれだけ悲しいことかは想像できますね。
僕たちの想像以上の悲しみだと思います。だってみんなに嫌われているし、気持ちを分かってくれる盟友が亡くなるのは辛かったと思います。
天智天皇は、死に際の鎌足に「大織冠(たいしょくかん)」という冠位の最高位を与えました。
それと鎌足に「藤原」の姓を与えます。
「藤原?」って思いませんか?そうです。あの藤原です。平安時代に大活躍するあの藤原です。実は、中臣鎌足の子孫なのです。
これを知っていたら、藤原の活躍を見ていくときに「さすが鎌足の血」って楽しめます。って言うか、だから権力者なんです。
「鎌足がいない。どうすればええねん。」って天智天皇が落ち込んでいるときに息子の「大友皇子」が励ましに来ます。
息子の成長
忙しすぎる毎日で気付いていませんでした。
大友「父さん。鎌足さんは死んじゃったかもしれないけど、僕が付いているじゃないか。」
天智「あれ?大友皇子ってこんなに逞しくなってたの?」
知らない内に逞しくなっていた息子を次の天皇にしたくなります。弟の大海人皇子はそのことをまだ知りません。
しかし、新しく最高位の職となる「太政大臣(だじょうだいじん)」を決めることになるのですが、それを息子にしちゃいます。みんな弟の大海人皇子が選ばれると思っていました。
大海人皇子はここで気付きます。
「あれ?兄さんは俺のこと大王にする気ないのかな?もしかして俺って邪魔な存在?これやばいかもな」って勘づきます。
そして、天智天皇が体調を崩します。
どうする?大海人皇子
大海人「じゃあ、兄さんのお見舞い行ってくるわ。」
奥さん「気を付けて行ってきてくださいね。なんかハメてくるかもしれへんから気を付けてね」
大海人「・・・おっけー。気を付けるわ」
実際、天智天皇の前に大海人皇子が顔を出すと、天智天皇は言います。
天智「次の大王になれへん?」
「え?」ってなりますよね。ここで考えます。
大海人「これは多分やります!って言うたら謀反とか言われてハメられるパターンちゃうか?」
大海人「めっちゃヤバイぞ。これは」
天智「・・・」
大海人「やりません。吉野に行きます。そんで出家します。だから継ぎません」
大海人皇子は本当に出家します。そんで吉野で暮らし始めます。
壬申の乱 弟vs息子
いよいよ壬申の乱の幕開けです。
壬申の乱とは、天智天皇の弟と息子(大海人皇子vs大友皇子)の天皇の座を懸けたバトルです。
なぜ戦うことになったのか、ここまでの流れだと弟の大海人皇子が出家したので解決してそうでした。
実際、大海人皇子は出家するのですが、671年に天智天皇が亡くなります。
「じゃあ、息子が大王だあ~万歳!」とはなりませんでした。
弟の大海人皇子は人望も厚く優秀だったので、朝廷内には大海人皇子のことを信頼していた人たちもいっぱいいました。
大友皇子からしたら嫌だったわけです。これは揉めるかもって思います。
だとしたら先手必勝!大海人皇子を攻めてやる!って決めます。
その噂が吉野にいた大海人皇子の耳に入ります。
大海人「しゃーない。その勝負受けたる!!!」
大海人皇子も吉野で兵を集めます。もちろん、大海人皇子の集められる兵は少なかったです。
しかし、天智天皇の政治は不満だらけで上手くいってなかったわけです。なので、大友について朝廷に味方するくらいなら大海人皇子の味方になってやる!という人たちが数万人といました。
思い出してください。防人って言う監視係を海岸でさせられたり、最悪なパワハラの被害者の怒りのパワーは凄いものでした。
人望厚かった弟のことを突然差し置いて、息子を太政大臣にしたことも不満の種です。大海人皇子って実はもの凄い優秀なんです。
この勢いのまま大海人皇子は圧勝します。
戦いに敗れた大友皇子は自害し、これにて壬申の乱は終結します。
つづく
