中学生でも楽しく分かる日本の歴史⑦天武天皇と皇后の政治
今回は大海人皇子が天皇に即位するところから書き始めていこうと思います。壬申の乱で圧倒的に不利かと思われた状況でも勝っちゃう強い男が大海人皇子です。
壬申の乱で勝つくらい「武」の凄い人です。だから、大海人皇子は「天武天皇」です。天武天皇の「武」の字は武力の武です。これで忘れないですね!
大王から天皇へ 倭国から日本へ
天武天皇の頃に「日本」と呼び名が変わっています。
兄の政治を引き継ぐ弟
兄の政治を引き継ぐことは、「律令国家」を目指すということです。
壬申の乱は身内の争いでした。
甥っ子を討つことになったこともあり、徹底して皇族内で揉めてはいけないと決めました。
なので、天武天皇の政治は「皇親政治」と言います。豪族を大臣にしたりせず、身内メインで政治を行います。
天武天皇の奥さん(皇后)との息子(草壁皇子)を皇太子にして、親族で決して争わないと誓い合いました。
天武天皇は壬申の乱に勝ったこともあり、もの凄い人望になっていました。兄さんが嫌われながら行った政治を嫌われずにできる人でした。
八色の姓
有名なのは「八色の姓(やくさのかばね)」です。
姓が出てくるということは、身分制度のことです。8つの位があるのですが、もちろん皇親政治なので、皇族が上の位を任されます。
天智天皇は独裁的に中央集権にしようとしましたが、天武天皇は違いました。皇族みんなで政治していこう!っていうスタンスです。
豪族から政権を奪って改革しようとした天智天皇とは違い、壬申の乱で豪族たちと共に戦った天武天皇は豪族たちからの支持もありました。
「天皇って神様的な存在なんだよ」って思わせることを目指します。
歴史書編纂計画スタート
そして、天武天皇が「古事記や日本書紀を作ろう」って言いました。
各地に色々と言い伝えが残されていたのですが、一つにまとめられたものは当時ありませんでした。それをまとめ始めます。
その命を受けたのが「太安万侶(おおのやすまろ)」と「稗田阿礼(ひえだのあれ)」です。完成するのはもう少し後ですが、この頃に計画が始まりました。
稗田阿礼は簡単に言うと記憶力がすごく良かった人です。
稗田阿礼が各地の伝説を聞いて回り、ただただ覚えるっていうことをしてました。それを太安万侶が編纂します。
古事記は神様の話です。
天皇を神格化したかったわけです。
「アマテラス」とか「スサノオ」とか「ツクヨミ」とか出てきます。
富本銭もこの頃です。作ってはみたものの、全然流通しませんでした。
「こんなもんに価値なんかあるかい!」って捨てられてたと思います。
飛鳥浄御原令編纂スタート
いっぱいスタートしますね。
この飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)が、実施されるのは後ですが、天武天皇が開始します。見て分かる通り、律令の内の「令」しかまだないですね。
天武天皇崩御
天武天皇のことを「武」の人みたいに冒頭で言いましたけど、天武天皇は身体が丈夫ではありませんでした。天武天皇はやりたいことめっちゃあるねんけどなぁ。。と志半ばで息を引き取りました。
次の天皇どうしようか?問題勃発!
天武天皇と息子の草壁皇子は身体が病弱でした。
なので、大津皇子が大王になった方がいいんじゃないか?と言われはじめます。
でも、皇后は息子になってもらいたいと思ってます。
身体が弱くても、私も手伝うから何とかなる!って思ってました。
けど、大津皇子は優秀でした。
だからもう世論は大津皇子です。
皇后どうすると思いますか?
皇后「大津皇子は謀反を企てています。捕らえてください。」
皇后は大津皇子を冤罪で捕えちゃいます。これは、天武天皇の約束違反ですよね。
実は、、、天武天皇は全部気付いてました。
天武「草壁は身体が弱いから、大津を大王にした方がいいよ」と優しい天武天皇は死に際に言葉を残していました。
皇后「それでも私は草壁を母として大王にしたいです」
天武「それがみんなの望みならそうしたら良いけど、みんなで誓った約束のことは忘れたらあかんで」
なのに皇后は約束を破ります。
大津皇子は冤罪が悲しくて自害します。さらに、草壁皇子も病気で死去します。
皇后は落ち込みます。
もう自分でやります。。持統天皇
690年皇后が天皇になります。持統天皇です。もう自分でやることにしました。
旦那の政治を引き継ぐぞ!ここから持統天皇が頑張ります。
まだ不十分ながらも飛鳥浄御原令が発布されます。
庚寅年籍
690年に「庚寅年籍(こういんねんじゃく)」という戸籍ができます。これにより班田収授法が全国的に行えるようになります。以前にも書きましたが、今までは班田収授法は上手くいってませんでした。
これからも特に上手くいくというわけではないですが、庚寅年籍によってマシになります。
持統天皇は694年に藤原京に遷都します。かっこいい都です。天武天皇が計画していました。
持統天皇と言えば、初めての上皇です。
そして、持統天皇の孫が天皇に即位します。文部天皇です。
遂に完成!大宝律令!
文武天皇の時代と言えば、大宝律令です。
701年に遂に「律令」が揃った「大宝律令」が完成します。
「律」は罰則を定めた刑法であり、「令」は政治を行うための行政法です。
しかも、遂に「律」が完成したので、ルールを守らなかった時の罰則も正式に定まりました。
「二官八省」などの仕組みが「令」です。
「二官」って言うのは、政治なんかを取り仕切る「太政官」と「神祇官」のことです。八省は「○○省」「□□省」みたいなのが八省ありました。今で言う省庁です。
やっと天智天皇がやりたかった「公地公民制」や「班田収授法」が実施され始めます。すべて戸籍と計帳で管理されます。
中大兄皇子と中臣鎌足が目指してきた律令国家が、長い年月をかけてようやく形になりました。
この「大宝律令」を編纂したのは中臣鎌足(藤原鎌足)の息子である「藤原不比等(ふひと)」と刑部親王(おさかべしんのう)です。
藤原の活躍には注目です。
つづく
