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中学生でも楽しく分かる日本の歴史⑧藤原四子と長屋王 ~藤原という存在~

今回は念願だった「律令」が整った後の話を書いていこうと思います。

710年 平城京に遷都!~奈良時代~

文武天皇が亡くなり、次に即位したのが文武天皇のお母さんです。「元明天皇」って言います。

お母さんが即位することになったのは、文武天皇の息子がまだ幼かったからです。この幼い皇子が後の「聖武天皇」です。

この「元明天皇」が頼りにしたのが「藤原不比等」です。

不比等がめちゃくちゃ働いて都が平城京に遷都されます。豪族たちを都に住まわせて監視下のもと生活させようとしました。

この710年から794年に平安京に都を遷都するまでの時代を「奈良時代」って言います。

この平城京は唐の長安をモチーフに作られました。

元明天皇から元正天皇 母から娘

元明天皇の次に即位するのが、元明天皇の娘です。「元正天皇」って言います。母から娘という唯一のパターンです。

元正天皇に変わり、不比等の他にも権力者が現れます。不比等の四人の息子たちと天武天皇の孫の「長屋王(ながやおう)」です。

不比等は大宝律令を加筆・修正した「養老律令」を作成しました。優秀振りは父の鎌足に負けてません。藤原に都合のいい事を書き足したり、消したりしたって言われてます。

聖武天皇と藤原四子と長屋王

724年、聖武天皇が天皇に即位します。その時には不比等はすでに亡くなっています。なので、長屋王が政治の中心にいました。

あんだけ不比等が優秀やったら、長屋王より不比等の息子の四兄弟で良いやんって思いますよね?

不比等は凄い権力者でした。ってことは、それが気に入らない人も多いわけです。そういう人がみんな長屋王を支持しました。

でもまあ、不比等の息子たちも黙っちゃいません。

なんせ、不比等の息子で、鎌足の孫です。しかも兄弟四人いますから、協力して長屋王からその座を奪おうとします。

長屋王の政治

簡単に長屋王の政治をまとめます。

みんな班田収授法で土地を借りても、税が高いから夜逃げしてました。夜逃げが流行る時代でした。

夜逃げが流行ると土地は貸したのに誰も管理しないから荒れますよね。そしたら土地の無駄遣いになります。もちろん税収もありません。

①百万町歩開墾計画

「これから農地を増やしますから手伝ってください」とお願いします。荒れた土地をもとに戻すの手伝ってくださいってことです。

みんな夜逃げするくらい納得いってないのに、手伝うわけないです。

みんなにメリットなしです。

②三世一身の法

これは口分田を孫の代まで貸してあげるよっていう制度です。これは開墾したらの話なので結構きついです。

これは公地公民が崩れてきてる証拠です。

長屋王の変

藤原四子が長屋王から政権取ったんでぇ~と企んでいる時に、聖武天皇に皇子ができます。しかも、その皇子を出産したのは不比等の娘です。

これで藤原四子は天皇と外戚になれるチャンスだ!と思ったわけです。

「皇族の親戚になれるぞー!みたか長屋王!」と喜びました。

「これで藤原の時代がやってきたぞ!」と大はしゃぎします。

ところが、1年も経たず、皇子が病気で亡くなります。

藤原の四子は悲しみます。

「こうなったら、光明子(不比等の娘)を皇后にするしかないな」って考えます。妹が皇后になれば自分たちは皇族の兄になれるという作戦です。

でも、光明子は皇族ではないので皇后にはなれないというルールがありました。藤原氏は皇族ではありません。

皇后は天皇に何かあった際に天皇を務めなくてはならないので、皇族である必要がありました。

「このルールは絶対です。」って聞かなかったのが長屋王です。

長屋王からしてもそれを許すと藤原の権力が増すことは分かっていますので、認めるはずがありません。

「長屋王邪魔やな」

「長屋王どうする?」

「長屋王謀反企ててない?」

「そうやわ。長屋王は謀反企ててるわ」

「襲撃や!!!!」

こうして藤原の四子により謀反の冤罪をかけられ、襲撃された長屋王は自害します。(長屋王の変)

長屋王の呪い 藤原四子全滅

長屋王の変があり、光明子が皇后になることに反対する人はいなくなりました。なので、光明氏が皇后となり、藤原四子が政治の中心として働くことになります。

しかし、この8年後に事件が起きます。

都に「天然痘」という感染症が流行して藤原の四子は全員死去します。

これが長屋王の呪いではないのかと言われてました。

つづく

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