中学生でも楽しく分かる日本の歴史⑩戒律を伝えに。鑑真来日!
前回、聖武天皇の時代について書いていきました。
この記事の主役は「鑑真」です。皆さんも鑑真の名前は聞いたことがあると思います。中国(唐)の僧で、日本に何回も来ようとしたけど、航海に何回も失敗してしまい、失明した人っていうのは知ってると思います。
下にYouTube解説あり。
鑑真登場
733年に遣唐使として派遣された僧たちがいたのですが、これは、戒律を求めて派遣されました。前回記述。
いくつもお偉い僧に日本行きをお願いしましたが断られてばかりいました。気付けば唐に派遣された2人の僧は9年間も修行していました。そしてやっとの思いで出会ったのが、「鑑真」でした。
2人は、鑑真にお願いします。
「鑑真さん、お願いなんですが、お弟子を日本に送って戒律教えてくれませんか?」
「正しい教えを広める為なら良いですよ。誰か日本に行きたい人いてませんか?」
「・・・・・。」
誰も行きたい人なんていませんでした。
なぜなら、日本と朝鮮半島との関係はあまり良くなかったので、唐から日本に行くのは難しかったんです。
プラス航海技術のことを考慮すれば行きたい人なんているはずがありませんでした。船が沈むこともよくある時代です。
「そりゃ、行きたい人なんていないよね。大丈夫。私が行きますよ。私、鑑真自ら日本に行きます。戒律を教えてスキンヘッド達に正しいことを教えます。」
っていう流れで鑑真の日本行きが決まります。
5回目の航海で失明
日本行きを決めたのは良いのですが、やっぱり簡単には成しえませんでした。日本に行くなんて反対じゃ!っていう人達ももちろんいますから、密告されてしまったり、船に乗り出航できても、嵐も凄かったりして大変でした。
遭難もしました。鑑真は5回目で失明します。
753年、日本行きを決めてから12年経ちました。
遣唐使大使の人が乗船できますよ。って言いに来たんですけど、
「やっぱりだめです。皇帝の許可がおりませんでした。」
「えーまた無理なん。こんなに大変なのか。仕方ないなぁ。」
「鑑真さん!お待たせいたしました!私たちの船にお乗りください。」
「なんと!あなたは一体?」
鑑真さんは目が見えません。
「私は、吉備真備と申します!」どん!!
かっこいいですね。吉備真備。いかしてます。名前だけじゃないです。
そして、6回目の航海でようやく鑑真は日本に到着したのでした。
日本に着いた鑑真は聖武上皇に(天皇から上皇になりました)戒律を授けました。
そして、授戒のための施設を東大寺に作りました。東大寺に作った理由としては、大仏ができたばかりの一番すごい場所やったからだと思います。
その後、鑑真は唐招提寺(とうしょうだいじ)を建立します。戒律を学ぶための場所として建てられました。鑑真と言えば、唐招提寺です。
鑑真が伝来させたものは、もの凄く沢山あるのですが、ここでは書くのはやめときます。鑑真のこと調べるのは面白いですよ。
聖武上皇の目指した鎮護国家
聖武上皇はこんな感じで仏教に守られた国を目指しました。各地にお寺を建立し、大仏を造り、高僧・鑑真を迎え、戒律を広めました。仏教が今もなお広く伝わり続けている1つの大きな理由だと言える時代です。
そして、聖武上皇が亡くなり、光明皇太后によって東大寺の 「正倉院」に遺品のいくつかが収められています。「正倉院」もテストで絶対出ますよね。
鑑真さんってどういう人かわかりましたか?それと、聖武天皇の目指した鎮護国家のことも分かりましたかね?
仏教の流れを追うことで日本史のことを理解しやすくなるので、今後も注目してくださいね。
ありがとうございました。
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