中学生でも楽しく分かる日本の歴史⑯藤原の世界の始まり 摂関政治と他紙排斥
下にYouTube解説あり。
遂に来ました。藤原の時代
皆さんも大好きな、天才・中臣鎌足がいましたね。
この人が死ぬ間際に与えられた姓が「藤原」でした。
鎌足から、これまで藤原という名前が途切れることなく出てきていたわけですが、ここで遂にメインになってきます。
じゃあ、藤原氏はどのようにして昇りつめるのでしょうか。
藤原氏がどのようにして権力を持っていたかと言うと、自分の娘を天皇に嫁がせて自分が天皇の義理の父親になって、実質政治もやっちゃうぞ!っていう作戦でした。
この頃は、母親側の家で子育てしてたので、藤原さんの作戦は良かったんです。
摂関政治 摂政と関白
藤原って言われたら「摂関政治!!」って食い気味に答えられるようになってもらいたいです。
藤原=摂関政治って「=」で繋いでしまっても、数学的に問題ないほどにオッケーです。知らんけど。
「摂」は「摂政」のことです。
聖徳太子も摂政でしたよね。あれは推古天皇が女性ということもあり決まりました。
要するに天皇の政治をサポートすることが目的です。天皇が子供だったり、病気がちだったりすると決まります。
「関」は「関白」です。
天皇が成人していても政治をサポートしちゃうっていう場合に誕生します。
みんなは関白って言われたら、豊臣秀吉が思い浮かびますかね?
秀吉って言われたら「もの凄い権力」ってことが分かりますよね。
冬嗣の息子 藤原良房
さて、藤原冬嗣の事はみなさん分かりますね?令外官の蔵人頭として機密情報を守る部隊のトップとして権力を高めた人です。
ここでは、その息子の藤原良房が活躍します。
この時代、もちろん藤原の権力も高かったのですが、他にも橘氏や伴氏が権力を持っていました。橘逸勢(たちばなのはやなり)さんと言えば字が綺麗人、いわゆる三筆の内の一人ですよね。
このブログでようやく三人目発表できました。他の2人は前の記事で発表済みです。空海と嵯峨天皇です。
みなさんも橘って聞いたら権力あるのも想像できますね。橘諸兄っていましたもんね。
じゃあ、この伴氏って誰やねん。
これが、蘇我氏、物部氏が出てくる前に大連として権力を持っていた大伴氏のことなんですよ。大伴金村です。磐井の乱で活躍できなかった人です。
承和の変 藤原氏vs橘氏・伴氏
この時、天皇は嵯峨天皇の息子の仁明天皇(にんみょうてんのう)でした。嵯峨天皇も藤原冬嗣を「めっちゃ優秀やわ。」って言ってたから、仁明天皇も藤原さんには活躍してもらいたかったわけです。それが藤原良房です。
でも、こんな感じでエリートコースを進んでる奴許されへん!って反対する奴いますよね。それが、橘逸勢と伴健岑(とものこわみね)です。
でも、そんなこと言っても藤原はもう強いです。
「言うこと聞かへんなら考えがある。」良房
「橘逸勢と伴健岑は謀反を企てている。」良房
久々ですね。謀反冤罪。これで二人のこと流刑にしちゃいます。
これが「承和の変(じょうわのへん)です。
こんな感じで藤原さんが他の氏を消しにかかったことを「他氏排斥」って言います。
この頃ドンである嵯峨上皇は亡くなっています。だから、起きた争いです。
藤原良房 太政大臣就任
良房は承和の変の後、仁明天皇の息子の文徳天皇を即位させました。この時点で良房は太政大臣として働きだします。
文徳天皇は良房の娘と結婚します。良房は天皇の義理の父となります。
そしたら孫が生まれます。これが清和天皇です。ってことは良房が清和天皇の祖父です。
清和天皇は9歳で天皇に即位します。このパターンは大体サポート役が凄い力を持ってるんですよ。
9歳が政治なんか絶対にできませんよね。
コナン君か光彦ならできますけど、清和天皇はできません。
だから、ここで良房が摂政に就任します。と思いきや、それに反対する人がいました。
「しゃーない。とりあえず今は「摂政」とは名乗らず、摂政の仕事だけしておくか」って感じのスタンスです。
応天門の変 伴氏再び
良房が摂政になるのなんて反対じゃ!って言うてたのが、伴義男です。また伴氏です。この一族は言うてもエリートですからね。大納言・義男です。
さて、ここで紹介しておきたいのが、嵯峨天皇の息子の源信(みなもとのまこと)です。この人は嵯峨天皇の息子なので権力が結構ありました。
この源信と伴義男が仲悪かったんです。それで、伴義男が作戦立てます。
「俺が管理してる平安宮の応天門燃やそ」伴義男
「なんでですか?」家来
「燃えたら、絶対俺が原因調べることになるやろ?管理者やし。」伴義男
「そうだと思います」家来
「その時に、俺が『源信が燃やした証拠見つけた』って言えば、源信の奴はもう終わりや。冤罪ってわけや。」伴義男
「なるほど。いい作戦ですね」家来
っていう感じで、冤罪作戦が計画されます。みんな冤罪作戦ばっかりです。
今までこのブログでも沢山冤罪を紹介しました。全部の冤罪成功してきましたよね。
でも今回は失敗します。伴義男は失敗するんです。
しっかり応天門は燃やすんですけど、伴義男って藤原良房の摂政就任反対してたじゃないですか。
だから、藤原良房が本気出して応天門燃やしたの誰か調べ上げます。そんじゃあ、伴義男が燃やしたことが分かっちゃうんですね。
「お前、自分で燃やしたやろ」って感じです。
これにより、伴義男は流罪になります。
良房 摂政に就任
こうなったら反対する人いないですから、良房はちゃんと摂政に就任します。
良房が摂政になったのが皇族以外での初の摂政です。
関白 藤原基経(もとつね)誕生!
摂政の良房の後を継ぐことになるのが、養子である藤原基経さんです。
清和天皇の次に即位した陽成天皇(ようぜいてんのう)も小さかったので、摂政として基経さんが政治します。でも、この陽成天皇が大きくなるにつれ言うこと聞かなくなってきます。
「言うこと聞かれへん奴やな。もう代われ!」って感じで天皇を変えます。全盛期の蘇我氏みたいです。
選ばれたのは仁明天皇の息子の光孝天皇です。「こうこう」って言うてるけど55歳!でお馴染みの光孝天皇です。
この時代の55歳なんておじいちゃんです。めちゃくちゃおじいちゃんが即位です。異常事態です。
やっぱり、光孝天皇は3年後に死去します。だから、次の人が即位します。息子の宇多天皇です。宇多天皇は初の法皇になった人でもあります。
この宇多天皇の時にちゃんと関白として就任することになります。
阿衡の紛議 橘氏再び
この宇多天皇がとある詔を出します。
「藤原基経を関白にするよ」宇多天皇
「でもこの詔、阿衡(あこう)って書いてますよ」基経
「え?」
「阿衡ってことは関白やけど政治せんでいいってことですよね?」
「え?」
「いや、マジで俺やらんから」基経
「え?」
ってな感じで藤原基経さん、この「阿衡」っていう言葉に敏感になりすぎて半年間ほんまに政治しませんでした。
「この詔誰が書いたん?」宇多天皇
「僕です」橘広相
「あんたのせいでせっかく基経さん関白に任命したのに働いてくれへんやん」
「え?」
「罰受けてもらうで」
「えぇぇ~」橘
という具合に、宇多天皇からも確実に実権を取り、橘氏のことも排斥することができたというのが阿衡の紛議です。
ってなくらいで終わりにしておこうかと思います。長くてすみません。
もう少しで一番有名な藤原道長が出てきます。が、今回取り上げた藤原さんたちも面白いので、是非覚えてくださいね。
ありがとうございました。
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