中学生でも楽しく分かる日本の歴史⑱寄進地系荘園!武士団の誕生!
前回は藤原氏が他紙排斥で菅原道真を左遷したり、醍醐天皇の政治について書いていきました。醍醐天皇の時代に完全に律令体制は崩壊してしまったことも書きました。
今回結構ヘビーな内容になってますので、ゆっくり頑張りましょう。
ずるい国司 受領と遙任
藤原氏の絶対的な権力が強まり、律令体制が崩壊していきました。
律令崩壊の今となっては、国司が徴税の仕事を完全に任されていました。税を集める係です。なんでこうなったかは以下の通りです。
「税収が良くない。困ったな」朝廷
「そうですね。」国司
「ちゃんと税取って来てくれるんやったら、ある程度何してもええよ」朝廷
「ほんまでっか!?」国司
「その土地に関して言えば、何してもええよ。その代わり成果はだしてや」朝廷
「わかりました」国司
こういう事が許可されました。
だから、国司が農民から税を多く取って自分のものにしたりできるようになっていきました。不正というかズルいというか・・・。
国司の中でも、自分が現地に赴任して自由に徴税していいよって言われてた人を「受領」といいました。
自分は都に居たまま、代わりに「目代」っていう人派遣して徴税させていた国司を「遙任」っていいました。
まあ、受領を覚えててください。
で、この受領さんがめっちゃ自由にしてました。
「こんにちは。税を納めにきました」農民
「はいよ。ありがとさん」受領
「失礼します」農民
「はははは。これを俺が全部朝廷に送らずに、俺のものとして頂こうじゃないか。はははは」受領
こういう事をしてました。
農民からの税を(10)とします。本当は朝廷に(6)で良いんですよ。
じゃあ、10-6=4ですよね。
この差額の(4)を受領が自分のものにしちゃうんです。農民は不満だらけです。だから、チクられた人もいるみたいです。
藤原元命って人がチクられた有名人です。
これを訴えたのが、有力農民の「田堵(たと)」です。田堵はめっちゃ土地持ってる農民です。
大名田堵
戸籍をちょろまかしたりして、班田収授がまともに機能してなかったですよね。
だから、朝廷もちょっとやり方を変えます。
「もうだめだ。逃げよう」農民
「また、逃げたか。まあ、この土地の事は管理しているから、次にここで働きたい人からまた税は取ればいいか」
「すみません。この土地で働きます」
「オッケー。でも税は払ってよ」
「もちろんです!」田堵
こうして、空いた土地で働くと契約していった人を「田堵」って言います。
この税をかけられた土地のことを「名」って言います。だから、この名をいっぱい持っている人のことを「大名」っていいます。
こういった「名」での仕事を請け負って納税することを「負名体制」と言います。名を請け負うから「負名体制」です。
負名体制による大名田堵と開発領主
今までって1人こんだけの土地を貸すね。って班田収授してたわけです。
それが「税を払ってくれるんでしょ?だってここは「名」だからね。払わないならここでは働けないよ?」
「もちろん払います。っていうか、あっちの土地も良いですか?もちろん税は払うんで」田堵
「払ってくれるなら、いくらでもいいよ」
って感じで、税を払うならどんなけでも土地を持って良くて、税を払うならどんなけでも開墾して良くなったんです。
全然律令じゃないですね。律令は崩壊してます。
いっぱい「名」の耕作を請け負った人を「大名田堵」って言いまして、どんどん土地を開墾していった人を「開発領主」って言いました。
言葉を覚えるっていうよりは、流れが大切です。流れが分かってから用語を覚えると覚えやすさが違います。
寄進地系荘園と開発領主・大名田堵
大名田堵と開発領主からしたら、せっかく頑張ってるのに受領に多く取られるの嫌ですよね。だから作戦を考えました。
その作戦が、土地を貴族にあげちゃう作戦です。これがどういうことかと言うと、この時代は有力な貴族とか寺社は税を取られてませんでした。
これが「不輸・不入の権」って言います。
この時期で言うと、藤原氏にあげるのがベターとされていました。やっぱり、藤原氏が摂関家でボスだったんです。
だから、この「不輸・不入の権」で守られた人に開墾した土地をあげて、そこで今後も働かせてもらう。で、
そのあげた土地の人(例えば藤原家)に収穫物を支払うっていう仕組みをつくったんです。
①開発領主が開墾→②藤原氏などの不輸・不入の権がある人にあげる→③そこで働く→④その土地をあげた人に税と言うか収穫物渡す。
そしたら、ずるい国司に余分に税を取られることもなくなるって考えたんです。この方がお得です。
要は、俺の方が権力あるのに、俺の土地から税を取るつもりか?って言えるくらいの人に土地をあげて守ってもらう仕組みです。
だからポイントは「不輸・不入の権」っていうのがあったってことです。
盗賊が増える・・・
こんな感じで寄進地系荘園が成り立つようになって、開発領主は「荘官」として荘園の管理をすることがありました。
国司が不正してくるのを自己解決できる大名田堵や開発領主はいいんです。解決できるから。
でも、もちろん解決できない人達もいますよね。問題はこの自己解決できなかった人たちがどうしたかってことです。
そういう人達がどうしたかっていうと、逃亡して盗賊とかになっていきました。
武士団登場!
こんな風に盗賊とかが増えていく世の中で、開発領主たちは守りを強化しないわけにはいかないです。自分の土地が荒らされるわけにはいきません。
権力を持つようになってきた開発領主たちが、土地を守るために武装するということも増えてきました。
この武装した人たちのことを「武士」って言います。
押領使と追捕使誕生
そこでまた令外官が置かれます。「押領使」と「追捕使」です。
この2つに大きな違いはありませんので、一緒とまでは言いませんが、複雑に分けて考えなくても大丈夫です。
めっちゃ簡単に分けて言うと、京の東側を管理していたのが「押領使」です。
京の西側を管理していたのが「追捕使」です。
警察みたいに思ってもらえたらいいと思います。
盗賊自体も問題ですが、盗賊が出てくるのは国司がズルいのが理由としては大きいですよね。ってことは、国司のズルや盗賊をなんとかしないとダメなわけです。
警察いるのも頷けますね。
この令外官に就いたのが、平氏や源氏の姓が付いた皇族の子孫とか藤原の下層の者たちでした。豪族とかも任命されてたみたいです。
この「押領使」や「追捕使」などの人たちが各地で、その土地の武装集団と手を組んで集団を作り「武士団」を作りました。
桓武平氏と清和源氏
こんな感じで出てきた武士団でしたが、地方の有力な農民とか他の武士団を従えるような人も出てきました。
こういう風潮の中で、桓武天皇の血筋に当たる「桓武平氏」や清和天皇の血筋に当たる「清和源氏」という貴族が武士団のトップとして大規模集団を従えていました。
平氏と源氏が後に大活躍するのは、天皇家の血筋だったからなんです。
めちゃくちゃ繋がりありますね。繋がってたら面白いです。
平安時代は人気がないんです。知ってます。
もうすぐ人気な時代に入っていきます。
楽しみですね。
ありがとうございました。
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