中学生でも楽しく分かる日本の歴史⑲平将門と藤原純友の乱「承平・天慶の乱」
前回は開発領主たちが土地を開墾→その土地を「不輸・不入の権」を持つ貴族や寺社に寄進する寄進地系荘園が流行る→その土地を守るために武装する→武士団誕生という流れについて書いていきました。
そして今回は、武士団が力を持ち始め、その武士団が起こした大きな乱がメインになります。
主人公の名前は・・・東で暴れた「平将門」と西で暴れた「藤原純友」です。
朱雀天皇
醍醐天皇の後に即位したのが、「朱雀天皇」です。この朱雀天皇の時に摂関として活動したのが、「藤原忠平」です。
この「藤原忠平」は「藤原基経」の息子です。
大事なのは名前じゃないので、ざっくり「藤原さん」って認識してもらえたらと思います。
朱雀天皇は摂関に頼りましたが、次の村上天皇は頼りませんでした。
新皇・平将門の乱
この頃、関東でめちゃくちゃ強い人がいました。「平将門」さんです。
桓武天皇の孫の高望王の孫です。
高望王が千葉県辺りの国司として権力を高めていき、それをさらに強めていったのが、「平将門」です。
基本的に平氏って言うと桓武天皇からの流れですけど、そうじゃない平氏もいたみたいです。
なんせ、平将門が関東を支配しようとしてたってことです。
平将門のお父さんが亡くなって、遺産相続でお父さんの兄弟と揉めました。その遺産相続問題で「平国香」を倒して、さらに権力を増していきます。
「俺は新皇だ!!関東の国は独立するぞ!!東国はこの新皇である平将門様が治めるのだ!!」と平将門は新皇と名乗り始めます。
この頃って国司がズルをしてるから、「国司むかつく」って思ってる人達が沢山いました。
そういう人たちが、将門にどんどん従っていきました。
だから、将門が自分の信頼できる人達を関東の国司に任命して、関東支配の計画をどんどん進めていくわけです。
そんなこと朝廷は許しませんでした。
令外官の「押領使」である「藤原秀郷(ひでさと)」に平将門討伐部隊を率いさせて、将門の鎮圧を任じました。
「やったるやないかい!」と気合十分の将門でしたが、思い通りにはいきません。
将門は押領使の藤原秀郷と将門のいとこの平貞盛に討たれてしまい、関東征服の野望は叶わず、鎮圧されてしまいました。
海賊・藤原純友の乱
平将門の乱とほぼ同時期に将門とは反対側の西側で乱を起こした人がいました。それが「藤原純友」です。
藤原純友は伊予国(愛媛県)の国司でしたが、身分の低い国司でした。
純友は国司としての任期を満了すると悩みます。
「俺って身分低いから、このまま都に戻っても良い事なんてないなぁ」純友
「海楽しかったですね」家来
「せやな。海良かったよな」純友
「海賊いいですね」家来
「よし。俺は海賊になるぞ!!!」純友
元々海賊たちを取り締まる側だった藤原純友ですが、自ら海賊たちに声を掛けて仲間を集めていきました。
そして、集まった仲間は1000隻にも及ぶ大海賊団体になりました。この藤原純友海賊団はかなりの強さで朝廷も焦ったみたいです。
この藤原純友海賊団征討に任命されたのが、追捕使の小野好古(おののよしふる)と源氏の武士の祖「源経基」です。経基は清和天皇の孫です。
この平将門と藤原純友の乱を合わせて「承平・天慶の乱」って言います。
武士という存在
この「承平・天慶の乱」どちらも武士が権力を持ち暴れました。これは武士が起こした初めての大きな乱でした。
武士という存在がとても力を持ち始め、特に平氏と源氏という2つの武士が活躍しました。
そして、そのどちらの乱も解決したのは武士団であり、平氏と源氏が中心的に活躍したことを押さえておいてください。
国を守るために必要なのは武士の力ではないかと思われ始めているということです。そして、朝廷ではなく、武力の力こそが正義となり始めてる時代が来ようとしている兆しでもあります。
村上天皇 天暦の治
朱雀天皇の次に即位したのが、村上天皇です。
朱雀天皇の時に関白をしていた藤原忠平が亡くなってから、村上天皇は関白を置きませんでした。
こ村上天皇の政治を「天暦の治(てんりゃくのち)」って言います。
でも、この村上天皇の天暦の治以降はまた藤原氏が摂関家として権力を持つ時代になります。
こうして藤原摂関家が力を持ち始めると「藤原氏の時代めちゃくちゃ嫌やわ。まじで」ってやっぱりこう思う人もいるわけです。
こう思ったのが、醍醐天皇の息子の「源高明(たかあきら)」です。
安和の変 他紙排斥完了
この高明さんは、自分の娘の旦那(義理の息子)を天皇にして権力をゲットしてやろうって考えていたんですけど、「源満仲」さんにバレちゃいます。
この「源満仲」は源氏の祖「源経基」の息子です。
藤原氏の権力ゲットに不満を持っている高明さんは、藤原の摂関政治していこうとしている者たちに他紙排斥されます。
「高明は謀反を企てている」これです。権力ゲットしようとすることがバレてしまい謀反人にされてしまうわけです。
これで源高明は太宰府に流されます。これが「安和の変」って言います。
これで他紙排斥が完了し、藤原氏が摂関政治を行っていくことになります。
藤原氏の内部での争い
他紙排斥が終わり、他氏とのもめ事が終われば、藤原内部での権力争いが起こります。まあ、そうでしょうね。
想像はつきますよね。
ということで、今回は他紙排斥が完了したよ~ってところで終わりにしたいと思います。
次回は藤原摂関家のピークと言える藤原道長について書いていこうと思います。
ありがとうございました。
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