中学生でも楽しく分かる日本の歴史㉓院政開始!白河法皇・鳥羽法皇
前回は奥州藤原氏の誕生について書いていきました。
そして、藤原氏の力がそぎ落とされていき、どうなっていくのか・・・というのが今回のお話になります。
下にYouTube解説あり。
藤原氏の衰退 後三条天皇
後三条天皇は34歳で天皇に即位しました。バリバリ働き盛りの年齢ですよね?
でも、これは普通ではなかったんです。
この時代って藤原が摂政として政治をするのが当たり前でしたから、天皇には子どもの内に即位していました。だから、34歳っていうのは普通ではなかったんです。
藤原氏の娘の息子が天皇になるのが当たり前になっていたのですが、藤原頼道の娘には皇子が生まれませんでしたので、後三条天皇が藤原とはあまり関係がないけれど34歳で即位できたわけです。
「藤原のせいで時間がかかってしまったけれど、藤原の力を失くすのは俺しかいないじゃないか」って後三条天皇が思うのも分かりますよね。
後三条天皇は藤原氏を外戚としていなかったので、摂関家とは関係なく自分の思う政治を進めていきます。
藤原が絶対!という時代は終わり、身分は関係なく適材適所で才能を開花させることができる人は積極的に雇用していきました。
延久の荘園整理令 1069年
後三条天皇は藤原ではなく「大江匡房(おおえのまさふさ)」を側近として重宝しました。
そして、「延久の荘園整理令」を出します。
荘園整理令というのは「不正の荘園を没収すること」です。
後三条天皇は財政面の問題として、荘園から税を徴収できていないこともあげていたので、両方解決できるし一石二鳥と考えました。
「荘園から税が取れてないのが問題やな」後三条天皇
「そうなんですよ。摂関家からは取れませんよね?」大江匡房
「いや、取ろ。寺社からも取ろ。みんな例外なしで税は徴収しよ」後三条天皇
「いいんですか?」大江匡房
「ええよ。これで没収してしまえば藤原の権力はがた落ちや」後三条天皇
「藤原の荘園も不正な分は全部没収させます」大江匡房
「その仕事してくれる人は記録荘園券契所っていう機関用意するわ」後三条天皇
って感じで、記録荘園券契所の役員がめちゃくちゃ荘園を没収していきました。
これにより絶対的な藤原氏も権力を弱めていくことになります。
これまでの荘園整理について
もちろん今までも荘園整理は行われてましたけど、摂関家の藤原の荘園は無視してたんです。
これをやってたのも国司でしたけど、国司を任命してたのは藤原なわけなんで、藤原の不正に口出してたら国司やめさせられちゃいます。
だから、藤原の不正は目を瞑るほかなかったわけです。
でも、後三条天皇は藤原の力を落としにかかってますから整理できちゃうわけです。
「天皇の俺が没収って言うてるんやで?国司決めるのもこれからは俺やで?藤原ちゃうで?だから没収や」って34歳大人賢い政治をするわけです。
白河天皇 即位
後三条天皇が病気になり退位しました。次は息子の白河天皇が即位します。
白河天皇も父のように自分も政治に参加します。
後三条天皇は長男の白河天皇の次は次男、三男と順番に即位させてあげてくれと遺言を残していました。が、次男が病気で他界します。
弟が亡くなってしまったことで、もう弟たちではなくてもいいかな?って思います。だから自分の息子に位を譲位します。
それが堀川天皇です。白河上皇誕生です。
こうすることで、皇族の中でもライバルとなりうる弟の家系の台頭を防ぐことができたわけです。
ここで大切なのが、藤原の権力を減らしてはいますが、まだまだ藤原の摂関政治を終わらせる目処が立っていませんでした。
なので、白河上皇は、幼い天皇にアドバイスする摂関と同じ立場の上皇として実権を握ろうとしたわけです。それが院政です。
白河上皇誕生 院政開始
堀川天皇は子どもだったので、白河上皇が政治の実権を握っていました。
上皇が天皇に変わって政治をすることを「院政」と言います。
上皇が政治をする場所を「院庁」と言います。
上皇が出す政治についての決まり事は「院宣」って言います。院宣は天皇が出す命令と同じか、もしくはそれ以上に力がありました。詔みたいな感じですかね。
つまりは、摂関家の藤原氏が長年「摂関政治」でやってたことを上皇が「院政」でやり始めたってことです。
藤原氏は荘園も延久の荘園整理令で没収されていきましたけど、院庁には荘園が寄進されるようになっていくので、どんどん収入は増えていきました。
やっぱり、上皇が天皇を決め出す
蘇我氏や藤原氏が天皇を自分の都合の良い人に選んでいたように白河上皇もそうしていきます。
息子の堀川天皇が29歳で亡くなり、次の天皇に孫を即位させます。
この孫が鳥羽天皇なんですが、まだ5歳でした。
「俺が政治するから問題ない」っていうスタンスです。
出家したので「法皇」になります。白河法皇です。
比叡山延暦寺の僧兵
延久の荘園整理令により、荘園を例外なしに没収していったので、怒る人もいました。それが比叡山延暦寺の僧たちでした。
「私たちの荘園を減らすな!」僧兵
「まじで、俺の思い通りにならへんのは、賀茂川の洪水とサイコロの目と延暦寺の僧兵たちの強訴やな。」白河法皇
これが有名な白河法皇の悩みです。
北面の武士 登場 平氏と源氏
白河法皇は院庁を延暦寺の僧兵達から守るために、院庁の警護集団の北面の武士を創設しました。
院を武力で強化したんです。
この北面の武士の中でもやっぱり「源氏」と「平氏」は強かったわけです。
特に源氏は別格でした。
源氏はすでに藤原のもとで権力を高めていることは押さえといてくださいね。
白河法皇は僧兵の反乱を鎮圧するために義家を院庁へ呼びだし、昇殿を許可しました。義家さんは院に入れたってことです。
もっと言うと源氏の力だけに頼りきりになるのは怖いんです。だから、平氏にも力を持たせる必要がありました。
平氏の中でも「平正盛」と「平忠盛」が筆頭格でした。
平清盛のおじいちゃんとお父さんです。
この2人が院庁の警護役の「北面の武士」として権力を持ってくれていたから、清盛が後に大活躍するのに繋がるわけです。
これで平氏も力を持ち始めます。
次回はこの続きになります。
タイトルは「保元の乱」です。どうして平氏が力を手に入れたのかも書いていきますね。
ありがとうございました。
