中学生でも楽しく分かる日本の歴史㉘源義朝の政治!御恩と奉公
前回、平家が遂に「都落ち」したところまで書いていきました。
今回は、源頼朝が鎌倉で行っていた政治について書いていきます。
下にYouTube解説あり。
鎌倉での頼朝の政治
鎌倉に入った頼朝は、内政に専念しました。戦いは義経に任せて自分は政治をしたって感じで覚えていてください。
頼朝は朝廷とは別の組織を作ろうとしていたっていうニュアンスで覚えると良いと思います。
それが「武家政権」です。これが「幕府」に繋がります。
平氏とか朝廷の管理下で生活するのを辞められるように下準備していきました。
御恩と奉公
土地の所有権を認めて、しっかり働いたり、成果を出した人にはちゃんと褒美を与える制度を作ったんです。
これが「御恩と奉公」です。
「御恩」っていうのは、「土地支配権と新しい土地の支給」です。
「奉公」っていうのは、「軍役に参加することや、京都や鎌倉の警備」です。
この「御恩と奉公」の関係の中にいた武士たちのことを「御家人」と言います。
侍所別当・和田義盛
1180年、頼朝は鎌倉に新しい政府機関をつくりました。
それが「侍所」です。
侍所は「軍事・警察、御家人の統制」をする場所でした。
その別当に任命されていたのが「和田義盛」です。
この和田義盛は義仲のもとで活躍した「巴御前」を奥さんにしたって言われてる説もあります。
公文所(政所)・問注所 1184年
侍所の後に同じく中央政治を行う役所の「公文所」「問注所」ができました。
「公文所(政所)」は、一般政務・財政事務を行う場所です。
公文所別当は「大江広元」です。
この大江広元はめちゃくちゃくちゃ賢かったので、義朝の政治をうまい具合にサポートします。
「問注所」は訴訟と裁判事務を行う場所です。
簡単に言うと、頼朝は武士が支配できるように準備していったんです。
頼朝と清盛・義仲との違い
清盛は自分が貴族みたいになっていきましたが、頼朝は武士が武士として権力を持てる仕組みを作っていきました。
義仲と違って自分が武士の棟梁になることを目指していましたし、家来の中にも政治ができる頭の良い人たちが沢山いました。
朝廷のルールで頑張った清盛と、朝廷の指図なんか受けなくても良いルールを作った義朝って感じです。
今回は短めです。(笑)
次回はいよいよ「源平合戦」です。
主人公は完全に「源義経」です。
お楽しみに^^
ありがとうございました。
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