中学生でも楽しく分かる日本の歴史㉙治承・寿永の乱(源平合戦)
前回は、源頼朝と清盛の政治の違いを書きました。
下にYouTube解説あり。
平氏討伐の院宣
平氏は京から追い出され一時は九州の太宰府まで追いやられていました。
しかし、源氏が揉めている間(義経vs義仲)に福原京まで巻き返しを起こしていました。
こうなると、後白河法皇はまた平氏が復活するんじゃないかって心配になります。
なので、完全に平氏を倒すために頼朝の弟の源範頼と義経に平氏討伐の院宣を出しました。
ここでポイントなのが、今、天皇がいるのは平氏側であり、三種の神器を持っているのも平氏ということです。
この院宣はそれらを取り返すことも含まれています。
一の谷の戦い
メインとなるのは、範頼率いる5万の大軍で、義経は別動隊として福原京の背後に回りました。この背後の場所が一の谷です。
平氏はこの一の谷で陣を構えていました。一の谷は断崖絶壁に囲まれていて、唯一入れる場所は海に面しているので、待ち伏せされたらどうしようもありませんでした。
鉄壁の防御をほこる場所でした。
義経は考えます。
「実平がこれからこの軍の指揮してくれる?」義経
「え?良いですけど、どうするんですか?」実平
「いい事思いついたから、弁慶と70くらいの騎馬隊だけ連れて行くな」義経
「わかりました」実平
海に面した一の谷の入り口から土肥実平率いる源氏の本隊が襲撃をしかけます。
案の定、平氏の防御は完璧なので実平率いる本隊は苦戦を強いられます。
「なんだあれは!?」平氏
一の谷の平氏が陣を構える背後は断崖絶壁です。誰も現れるはずがありません。なのに、源義経と弁慶が率いる騎馬隊70が崖を下ってきたんです。
この奇襲が成功します。挟み撃ちです。
これに度肝を抜かれた平氏は船で逃走することになります。
逃走した先は屋島(香川県)です。
義経と頼朝の関係の悪化
義経の大活躍により平氏の戦力を大幅に減らすことができました。
これが後白河法皇に認められ、義経は検非違使に昇進します。
しかし、これが思いもよらない方向へと進んでいきます。
「頼朝兄さんの許可なしに出世なんてできません」義経
「いやいや、頼朝殿も喜んでくれるよ」法皇
義経は昇進を断っていました。
頼朝は朝廷の指図は受けずに「武家政権」を鎌倉で作っていたので、自分の許可なく朝廷が決めた昇進なんて受けたらダメなのは義経は分かっていました。
でも、法皇が頼朝にはまた報告すればいい事で、兄弟なんやから喜んでくれるに決まってるって促して、昇進を決めたんです。
この昇進が頼朝の耳に届きます。
「義経、あいつ俺に黙って昇進とは何事や。」頼朝
案の定、義経が法皇からの官位を受け取ってしまったから頼朝は怒ったんです。
後白河法皇は武家政権を目指してる頼朝が怖いので、義経を院の味方にして頼朝の対抗手段にしようと考えていました。
義経が討伐軍から外される
頼朝は義経を平氏討伐の部隊から外してしまいました。
こうなっては源氏の戦力はめちゃくちゃ下がります。
なので、九州へ平氏討伐へ向かった源範頼でしたが、義経なしでは苦戦します。
頼朝は渋々義経を討伐軍へ戻します。
義経は焦って討伐軍に復帰し、屋島へと船で向かいます。
ここで、義経はめちゃくちゃな渡航をするんですが、そのことで「梶原景時」と喧嘩したみたいです。
梶原景時は頼朝が石橋山の戦いで負けて逃げてるところを見逃した人です。
嵐で渡航するのは危ないから櫓を付けて渡ることを提案した景時でしたが、義経は「腰抜けのビビり!」って言うたらしいです。
結果、普通3日かかる渡航を28時間で渡った逸話があります。
屋島の戦い
この「屋島の戦い」で活躍するのが「那須与一」です。弓の達人です。
屋島にいた平氏軍が義経たちを挑発するために日の丸の扇子を棒に付けて開いてたんです。
「射貫けるなら射貫いてみろ」っていう意味です。
この挑発に対して無視することは武士としてよくないって考えました。
無視するよりも、ど真ん中を射貫いて軍全体の士気を高めた方が良いって義経は考えました。
そして、この扇子のど真ん中を射抜いたのが「那須与一」です。
教科書にはたぶん載ってません。
その勢い保ったまま屋島の戦いに源氏軍は勝利します。
そして遂に平氏軍は壇ノ浦へと逃走していくわけです。
壇ノ浦の戦い
この「壇ノ浦の戦い」は海の上での戦いです。
平氏軍500隻に対し源氏軍830隻です。
勢いも数も源氏が上回っているので、平氏は意気消沈しているかと言うとそんなことはありませんでした。
平氏は水上戦には自信があったんです。というのも、清盛の代から平氏に仕える阿波水軍を率いる田口成良がいたからです。
壇ノ浦は狭いし、潮の流れも速いので、戦うのが難しい場所だったので、平氏は地の利は自分達にあると考えていました。
「義経様!このままではやばいです!」弁慶
「いや、大丈夫やから安心して」義経
「大丈夫って何がですか?」弁慶
「大丈夫。勝てるから」義経
壇ノ浦での水上戦の難しさに苦戦している源氏でしたが、ここで戦況が一変します。
「我々は今から源氏側につく!」田口成良
「えええええぇぇぇぇぇーーーー」平氏軍
屋島の戦いで息子を人質に取られていた阿波水軍の指揮官の田口成良が源氏側に寝返ります。
これにより平氏側の敗北が確定します。
それでも、最後まで戦い続けた平氏の武士がいました。
「平教経(たいらののりつね)」です。
「源義経」と言えば、船を次々と飛んでいく「八艘飛び」が有名かと思いますが、それはこの教経との最後の戦いでのことです。
教経から逃げることに成功した義経でしたが、教経が最後まで戦うことで、無駄に殺される源氏を助けることはできませんでした。
教経も平氏の総大将たちも自害します。
安徳天皇は清盛の奥さんに抱えられ海に飛び込み自害します。
三種の神器も海に沈んでしまいましたが、「八咫鏡」と「八尺瓊勾玉」は見つかりましたが、「草薙の剣」は見つかりませんでした。
清盛の娘の「建礼門院徳子」も海に飛び込みましたが、源氏に助けられています。
こうして、平氏と源氏の戦いは幕を下ろしました。
そして、次回は、義経が追われる立場になります。
ありがとうございました。
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