中学生でも楽しく分かる日本の歴史㉚容赦ない頼朝。義経最後の戦い。弁慶の立ち往生。
前回は「源平合戦」の最終戦の「壇ノ浦の戦い」の終わりを書いていきました。
今回は源平合戦のあと源氏がどのようになったのかを書いていきます。
下にYouTube解説あり。
鎌倉に入れない義経
壇ノ浦の戦いに勝利した義経が討ち取った平氏の首を持って鎌倉に向かっている途中に頼朝の遣いが義経のもとへやってきます。
「義経様、鎌倉へは入れません。」
「え?なんで?」義経
「頼朝さまの命令です」
なので、義経は腰越にある満福寺にて手紙を書きます。
義経は大江広元に取り持ってもらうように考えました。
兄の頼朝にどうしても理解してもらおうと思いました。
義経に送られる刺客
手紙は頼朝に届いたのですが、頼朝の出した答えは義経の期待したものとは違いました。
「平氏の首を持って京へ向かえ」
これが、頼朝から義経に命令が出ます。
義経は鎌倉に入れてもらえないことがどうしても納得いきません。
義経は京に入り、家で休んでいました。
「誰や!?」弁慶
義経の家に刺客が送られました。
「誰の命令や」弁慶
「・・・頼朝様です」
「もういい。もううんざりや。このままじゃ殺される。」義経
自分の命の危機を感じた義経は兄・頼朝と戦う決意をしました。
頼朝討伐の院宣
義経は後白河法皇のもとへ行き、頼朝討伐の院宣を貰います。
法皇からしてみても、頼朝と義経が喧嘩してくれる方が都合が良かったんです。
平氏を倒す程の戦の天才・義経と武家政権を作ろうとする政治の天才・頼朝が手を組んでしまえば朝廷の存在を脅かします。
だから、すんなり院宣を出します。
守護と地頭の設置
頼朝は大江広元らと共に政治をし続けます。
そして、守護と地頭の設置を考え出しました。
この守護と地頭は地方の治安維持や管理を行う人たちです。
現状、国司や荘官が行っていたことをさらに管理する人たちって思ってください。
朝廷が用意した国司や荘官を管理する立場の武士です。
そして、頼朝は北条時政に軍を率いさせて京へ向かわせました。
義経討伐の院宣!謀反人義経
北条時政が京へ入り、法皇に対して話を持ち掛けます。
守護や地頭の件です。
そして、話は義経の話題に変わります。
「法皇様は頼朝様へ討伐の院宣を出されたことを聞きました。」時政
「・・・えっと」法皇
「どういうことですか?」時政
「いや、義経に脅されて仕方がなくて・・・取り消すわ」法皇
「でしたら、義経討伐の院宣をお出しください」時政
「うん。わかった。」法皇
こうして、義経は謀反人として討伐の院宣を出されてしましました。
そのころ義経は
京にて頼朝討伐の準備をしていた義経でしたが、もちろん兵を集められませんでした。
そして、義経の耳にも自分に院宣が出ていることを知ります。
義経は京から吉野、吉野から日本海側を通って、平泉へと向かいました。
目的は幼少期にお世話になった奥州藤原氏のもとでした。
皆さん覚えてますか?奥州藤原氏ですよ。
義経の恋人 静御前
静御前は義経の子を身ごもっていたのですが、京からの逃走に付いて行きました。
が、今後どうなるのかもわからない逃走生活だったので、静御前のことは吉野へおいていくことにしました。
静御前は吉野で頼朝の家来に見つかり、鎌倉へ連れられてしまいました。
そして、頼朝のお願いで日本一の白拍子と言われた舞と歌を披露したのですが、頼朝の前で義経のことを歌ったことは有名です。
この歌が頼朝は気に入らなかったので怒ります。
が、それを止めたのが「北条政子」だったらしいです。
「静さんが歌ったのは義経殿への恋心です。私も立場が逆なら頼朝様の歌を歌いました。だから、静さんを許してあげてください。」北条政子
これにより、頼朝は静御前に褒美を与えたそうです。
しかし、静と義経の子が生まれたのですが、男の子だったため、頼朝の命により赤子のまま殺されてしまいました。
残酷な時代です。残酷な男です。
義経と藤原秀衡
奥州藤原氏が義経を小さい頃に関りがあったから助けたのですが、それだけではありません。
奥州藤原氏は頼朝が支配する鎌倉からの攻撃に備えたかったのです。
その為、戦の天才・義経を大将として頼朝と戦える準備をしようとしていました。
ですが、藤原秀衡が死んでしまいます。
なので、義経は秀衡の息子の泰衡に相談します。
泰衡も義経のことを秀衡同様に関わっていこうとしました。
動く頼朝
頼朝も奥州藤原氏が相手となると簡単には動けなかったんですが、藤原秀衡が亡くなり、ここぞとばかりに動きます。
「義経を匿うならば、奥州を襲撃する」
この手紙を泰衡に送ります。
泰衡も父からの遺言もあり、義経のことを匿い藤原氏の大将とすることを決めていたので、この手紙を見て悩みます。
戦の天才・義経がいても頼朝が相手は勝てないかもしれないと思ったんですね。
泰衡は奥州藤原氏を守らなければいけないという使命感から、義経が休んでいる所を襲撃します。
義経死す。弁慶の立ち往生
10数名しかいない義経と弁慶に対して、泰衡は500名ほどの軍を向かわせました。
尋常じゃない数の矢が飛び交う中、弁慶は最後まで一人で戦いました。
建物の中には義経がいます。
だから弁慶は一人も中に入れない為にも倒れるわけにはいきませんでした。
その圧倒的な強さで義経が自害する時間を稼いだ弁慶には数十本の矢が刺さっていました。
そして両手を左右に大きく開き「大」の字で立ったまま絶命しました。
兄・頼朝が目指す武家政権の為に、圧倒的な強さで絶対的な権力を持った平氏を倒した義経と弁慶でしたが、悲しくも兄である頼朝により命を落とすことになりました。
これが有名な源氏・義経の最後のお話です。
ありがとうございました。
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