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中学生でも楽しく分かる日本の歴史㉛征夷大将軍・源頼朝!鎌倉幕府誕生!

前回は平氏討伐の立役者である源義経が奥州藤原氏の裏切りにより自害に追い込まれてしまうところまで書いていきました。

前回はこちら^^

下にYouTube解説あり。

奥州藤原氏の最後

頼朝に従い義経を討ち取った奥州藤原氏の泰衡でしたが、頼朝に襲撃されてしまいます。

奥州藤原氏の権力は侮れない規模のものでしたので、頼朝は不安要素は確実に潰しておきたかったのだと思います。

あとは、義経のことを「匿うな」とは言ったものの、勝手に襲撃したことも頼朝を怒らした理由だと思います。

こうして、東北を制圧していた奥州藤原氏でしたが、頼朝の手により滅亡してしまいます。

頼朝は30万の軍で攻め込んだと言われています。

頼朝「宇近衛将軍」辞退

頼朝が欲しい位は「征夷大将軍」の一択でした。

奥州藤原氏討伐の働きが評価され。後白河法皇から「宇近衛将軍(うこのえしょうぐん)」の位を授けられるが、それを辞退します。

この宇近衛将軍は朝廷の中ではとても位の高い地位でしたが、これを受けると鎌倉に帰れなくなってしまいます。

頼朝の目的は鎌倉での武家政権の完成なので、宇近衛将軍を受ける事はできませんでした。

後白河法皇もまた、頼朝に征夷大将軍の座を与える気は微塵もありませんでした。

遂に後白河法皇死去

頼朝が宇近衛将軍を辞退して約2年後、後白河法皇が死去します。

すると、頼朝が征夷大将軍になることに反対する人はいなくなります。

これにより、頼朝は征夷大将軍の座を手にすることになります。

そして、頼朝が鎌倉で準備していた武家政権が確立することになり、「鎌倉幕府」が誕生することになります。

不慮の事故?頼朝落馬

武士の頂点に立ち「鎌倉幕府」を完成させた頼朝でしたが、完成から7年、落馬により死亡してしまします。

絶対的な権力で幕府を支えてきた頼朝の死亡は組織を不安にさせましたが、ここで代わって立て直しを図ろうと頑張ったのが「北条氏」です。

2代将軍・源頼家

この源頼家は頼朝の長男でしたが、全く優秀ではありませんでした。

だから、お父さんが培ってきたことも何にも分かっていなくて、御家人たちからは不満が出ていました。

頼家には人望もありませんでした。

ここで政治を頑張ったのが、「北条時政」「大江広元」たちです。

でも、頼家のテキトー過ぎる働きが目に余るので、お母さんである北条政子に告げ口が入ります。

「義家様の働きがテキトー過ぎてやばいです。」

「まじ?ちょっと義家以外で政治した方がいいね」政子

「よし、今から呼ぶ者を集めなさい。」時政

こうして集められたのが13人の有力御家人たちで、この「十三人の合議制」により政治が行われるようになります。

十三人の合議制

このメンバーには既に出てきた人たちがいますので、その人たちだけ紹介します。

北条時政

和田義盛

大江広元

梶原景時

この四人は既に出てきていますね。覚えといてくださいね。

あとは、時政の息子の北条義時もメンバーです。

後で出てくる比企能員(よしかず)も覚えましょう。

頼家と5人の御家人

この十三人の合議制での政治が頼家は気に食わなかったみたいで、頼家と親しい5人の御家人以外とは会わないと言い出しました。

御家人たちと将軍・源頼家との間に深い溝ができてしまいます。

さらば梶原景時

御家人たちをまとめる立場にいた梶原景時でしたが、いわば嫌われ役をこなしていたわけです。

なので、御家人たちから批判的なことを言われることが多くありました。

そして、頼家にも自分の事が必要でないと感じられていると思い、梶原景時は鎌倉を出ることにしました。

源頼家倒れる

ここで、頼家が病気で倒れます。

すると、北条時政は考えます。

「頼家様はもう長くないやろうから、ここらでライバルの御家人討っとこか」

時政は、比企能員(ひきよしかず)を謀反人として討伐します。

この比企っていうのは、頼家の奥さんの家系なので大きな権力を持っていました。

頼家が病気で寝込んでいる間に強い権力は消しておこうと考えたわけです。

この事件の中で頼家の奥さんや息子も殺されてしまいました。

頼家が病気から回復し、時政に復讐しようとしますが、他の御家人たちは、テキトーな将軍の言う事を聞くよりも北条時政の言う事を聞く方が良いと考え、誰も頼家に手を貸しませんでした。

頼家はそのまま北条政子や時政の命により出家し、将軍職を下ろされてしまいました。

3代将軍・源実朝

そして、頼朝の次男である源実朝が12歳で将軍に就任します。

ここで、ピンと来てほしいのですが、12歳では政治ができませんよね?

天皇の時もそうでした。

だから、摂関政治が行われていたわけです。

鎌倉幕府でも同じです。

将軍が子供だから、代わりに政治をする人が必要になります。

この役職が「執権」です。

この執権として活躍するのが北条氏となります。

二代将軍を辞めさせるのも、執権として活躍するのも将軍の祖父なのでできたわけです。

頼朝の監視役として清盛に命じられていた北条氏が遂に政治のトップになります。

では、今回はここまでと致します。

次回は、幕府がここからどうなるのか?そして、朝廷は今どうなっているのか?について書いていきます。

ありがとうございました。

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